1890年代再考

司会・講師 原田範行

講師 河内恵子

講師 川端康雄

講師 松本 朗

 

 「この頃、結婚している男はみな独身者のような生活をし、独身男はみな、結婚しているかのような生活をしている」というナルバラ夫人の言葉を聞いたヘンリー卿は思わず、「世紀末か」とつぶやく――『ドリアン・グレイの肖像』第15章の有名な一節である。ワイルド独特の逆説がここでも異彩を放っているが、しかしよく考えてみると、彼がヘンリー卿に語らしめたこの「世紀末」は、一般に語られるような耽美的観念や芸術的洗練に収斂するものではないことに気づく。耽美的観念や芸術的洗練どころか、独身生活と結婚生活という、きわめて世俗的な問題に見られる倒錯した現象を、ワイルドが「世紀末」と呼んでいたとすれば、彼の「世紀末」という発想には、芸術の理念とならんできわめて日常的な常識と非常識の境界線が抜き差しならぬ形でかかわりあっていたことになる。この境界線が、ワイルドの芸術にいかなる影響を及ぼしていたのか、それを探るべく1890年代のイギリス社会を再考しようというのが、本シンポジウムを企画した趣旨である。




19世紀末イギリス文学とレズビアン作家:マイケル・フィールドの世界

河内恵子(慶應義塾大学教授)

 

1895年に、オスカー・ワイルドが同性愛を禁じる修正法案を犯したことで断罪され、ヴィクトリア朝社会から追放されたのは周知のことだが、この時代、女性の同性愛者たち、とりわけ、作家たちはどのような状況を生きていたのだろうか?

  ジョージ・メレディス、リチャード・ガーネット、ライオネル・ジョンソン等、と交流があり、挿絵画家のチャールズ・リケッツやチャールズ・シャノンと親しく、その作品の何編かが批評家、ワイルドによって高く評価されていたマイケル・フィールドの世界を軸に19世紀末のレズビアン文学の一端を考えてみたい。キャサリン・ブラッドリーとイーディス・クーパーというふたりの女性がつくりあげていた「マイケル・フィールド」という世界はさまざまな不思議の光を放って、眩い。




ワイルド、モリス、ロマンスの精神

川端康雄(日本女子大学教授)  

 

 ワイルドの‘The Decay of Lying’はThe Nineteenth-Centuryの1889年1月号に掲載された後、筆削を加えて1991年に単行本The Intentionsに収録された。そこで展開された虚構化能力を衰退させた文学形式としてのリアリズム批判と、その力の回復を図ってのロマンス復権の主張は、同時期にウィリアム・モリスがおこなっていた散文ロマンスの制作と共振している。

  ワイルドの‘The Soul of Man under Socialism’ (1891)もまたモリスの社会主義論との関係が深い。1890年代のモリスは、体調の悪化もあって、80年代のような精力的な政治運動はおこなっていないが、バックスと共著の『社会主義』(1893年)を刊行したり、社会主義団体諸派の連合を図るまとめ役を果たしたりしており、政治的運動に幻滅して離脱し、ケルムスコット・プレスでの美的活動に専念したという一部の論者の主張は事実に反する。そうしたなかで、モリスはThe Well at the World’s End (1896)をはじめとする一連の後期散文ロマンスを1896年に没する直前まで書いていた。それらは‘The Decay of Lying’でワイルドが批判した(当時の支配的な)文学形式のアンチ・テーゼであり、その点で明らかにワイルドの文学趣味に適うものであった。  

 本発表では、19世紀末のイギリスでの反リアリズム文学の潮流を俯瞰した上で、「ロマンス復興」に貢献したワイルドとモリスの仕事について検討してみたい。

 


 

ワイルド版「新しい女」————文化交渉の観点から

松本 朗(上智大学教授)

 

 オスカー・ワイルドが雑誌The Woman's Worldで示した知的な女性像や、『サロメ』(1891)で示した危険な女性像は、1890年代のイギリス社会と文学作品の両方に颯爽と登場した「新しい女」の興隆に影響を与えたと言われる。だが、従来の議論では、たとえばイプセンの『人形の家』(1879)が、ヨーロッパ大陸やアメリカ合衆国等で受容され、各地でそれぞれに勃興したモダニティの中で少しずつ異なる新しい女性像が興るのに一役買ったことに見られるように、「新しい女」がグローバルな現象であったことへの注目が少ないし、「新しい女」が20世紀初頭の女性参政権運動で活動したサフレジストたち、そして第一次世界大戦後に登場するモダンガールたちに繋がる現象であったことへの理解も十分ではないように思われる。本発表では、(i) The Woman's World、(ii) 女優・サフレジスト・作家Elizabeth Robinsとワイルドの交流、(iii) 1890年代のワイルドの喜劇、に着目することによって、空間的にも時間的にも広がりをもつ現象としての「新しい女」像の構築にワイルドが果たした役割を検証したい。

 



<英文学>の確立 / 変容―小説家、詩人、批評家、学者たちの世紀末

原田範行 (東京女子大学教授)

 

 ワイルドをはじめ、ヴィクトリア朝後半に活躍した作家や詩人、批評家は、<英文学>の伝統をどのように意識していたのであろうか。18世紀にはなお「学芸全般」といった意味であった literature が次第に今日的な文学を意味するようになるのは19世紀初頭のこと。それがナショナリズムとともに、国の伝統を担う一翼となり、名作や教育的<文学>作品の選定が一気に進む。その結果、19世紀半ばには、膨大な数の文学教科書や入門書が刊行されることになり、これが後の「英文科」設立の原動力となっていく。オクスフォードに、現在の英文科の基礎となるThe Oxford English Schoolが設立されたのは1895年のことだ。しかし他方で、こうした<英文学>が持つ道徳臭や大衆性は、世紀末文芸の美学とは大きく矛盾するものでもあった。今回は、1890年代の<英文学>的動向を、ワイルドを含む同時代の文学作品と重ね合わせつつ、文学の乖離の問題を考察したい。